食べ物が出てくる物語が好きです。
最近は映画版の孤独のグルメを見に行きました。
波瀾万丈な展開でしたがほっこりするお話でした。
孤独と言えば、LonelinessとSolitudeの意味はどちらも「孤独」ですが、
ニュアンスは違うようです。
Lonelinessは独りぼっち、寂しいというニュアンスを含んでいて
Solitude は1人の時間を楽しむというニュアンスだとか。
孤独のグルメの吾郎さんはSolitudeな時間を楽しんでいますね~。
仕事は大変そうですが。
そういう時間があるからこそ仕事を頑張れるのかもしれませんね。
そういう時間を持ちたいな~と思いながら、
Solitudeな時間を最初から持てれば万々歳だけど
それにはLonelinessな時間も必要かなと思いました。
私は1人の時、何かに没頭している時もあれば
何かをしながら心の中で考え事をしていたりもします。
これってある意味自分とのお喋りなのでは…と思います。
そのお喋りを通して、
私はこれが好きだな、これが嫌いだなということを感じて
それがSolitudeな時間を作る足掛かりになるのかなと。
「今日何食べようかな~」もそのうちの1つですかね。
(🍀)
アトラス彗星に続き、ふたご座流星群を見に行きました。
今回は流れ星を何回か見ることができました!
思い返すと流れ星を見るのは人生で初めてかもしれません。
流れ星をみたら願い事を3回!と言いますが、
実際には毎回「あっ!」と言っている間に消えてしまいました。
儚いですね。
流れ星を探している間、夜空をじーっと見て考え事が浮かんできませんでした。
ひたすら無ですね。良い時間でした。
(🍀)
睡眠時間は1日〇時間、1日の摂取カロリーは〇㎉などなど、
世の中には「適量」といわれるものが色々ありますね。
最近、その「適量」は果たして自分にとって本当に適量なのか?
と思う出来事がありました。
それがコーヒーです。
元々コーヒーは好きで1日1杯程度飲んでいました。
1日2~3杯はOKと言われているしな~と思いながら。
ただ、なんとなくざわざわして落ち着かない時期があったです。
動けないわけではない、でも地味に調子が変…という感じです。
でもコーヒーとの因果は思い浮かばず、気にせず飲んでいました。
でもふとした時に、この地味な不調の原因ってもしかしてコーヒー?
と思い立ち、ここ2~3週間、コーヒーを控えています。
すると……地味な不調が減った!気がする。
今まで1日1~2杯はOK~と思いながら飲んでいましたが、
それは私にとっては多すぎたのかと気づきました。
世の中で言われる適量って、私にとっての適量じゃなかったんだなあと
しみじみ思いました。
ざわざわとした感覚は身体からのサインだったのかもしれませんね。
「美味しい」とか「心地よい」とか穏やかな感覚が生まれてくるくらいが
自分の適量なのかなと思いました。
コーヒー自体は好きなので、
これからはほどほどに楽しみたいと思います☕
(🍀)
先日、アトラス彗星をみに行きました。
初めての天体観測です。
暗くなると共にだんだんと人が集まってきました。
全員知らない人ですが、目的が一緒なので勝手に親近感がわきました。
私はおや?あれでは?というものがあったのですが、
周囲からは「見えないな~」、「暗いな~」との声がちらほら。
あれ、じゃあ私がみたのは勘違いだったのかな…と思ったのですが、
せっかくなので私の中で「あれはアトラス彗星!」ということにしました。
自分がどう思うかが大事ということで…。
(🍀)
とある人に最近何をしたわけでもないんだけど疲れるんだよね~と言ったら、
その方が言うのです。
私は最近疲れなくなったよ!もう何も考えることがないから!と。
何気ない雑談だったのですが、あとからじわじわと効いてきました。
あれ、私って最近考えすぎて疲れてるのかな?と。
たしかに身体は「今」にいるのですが、
頭は前のことを思い返してみたり先のことを考えてみたり。
それに伴ってあの時なんでこうしちゃったんだろ~とか、
今後こうなっちゃったらどうしよう~とか考えて、
思考だけではなく感情もフル回転だったのかなあと。
過去や未来のことを反芻しすぎると疲れるのですね。
「反芻」と辞書で調べたら、
①一度飲み下した食物を口の中に戻し、かみなおして再び飲み込むこと。
②繰り返し考え、良く味わうこと。
とありました。
①と②、違うことを言っているようでリンクしている、と思いました。
(🍀)
読書録:ざんねんないきもの事典
最近読んでいます。
ざっくりとした例だと「魚なのに泳ぐのが下手」のように
生き物の習性や特徴で残念なところが紹介されています。
「ざんねん」と紹介されているだけあって、
それは致命的では…?とか
それは陸で生きるには大変すぎるぞ…というような感じの
習性や特徴が意外にたくさんあって驚きました。
でもそのざんねんポイントに親しみやすさを感じたりもしました。
うまくやりたいけど、出来ないってあるよね~と。
それに「ざんねん」と紹介されていますが
その生き物がその習性や特徴をどう感じているかは分からないですね。
紹介されている生き物が喋れたら
周りは残念というけどそうでもないよ~とか、
勝手に残念と思うな!とか言うかも。
もしかしたら生死に関わりそうなざんねんポイントがあるにもかかわらず
しっかりと生き残っているところをみると
ざんねんポイントを補うような得意技や生きる術があるのかも…。
この事典、シリーズ化されているので他も読んでみようと思います。
(🍀)
続・植物を育ててみる
こんにちは。
相変わらずプランターで野菜を育てています。
サラダ菜、大葉、ミニトマト、ニラと盛りだくさんです。
最近は根詰まり対策をしました。
土を掘り返してみてこんなに根がはっているのかと驚きました。
そして根詰まりを解消させて水をあげたところ
翌日には野菜がいきいきとしている…!
静かに感動しました。
何かをして変化があるというのは面白いですね。
(🍀)
読書録:あなたの言葉を
こんにちは。
「あなたの言葉を」という本を読みました。
小説家である辻村深月さんのエッセイです。
内容は、辻村さんが自身の体験や読者からの手紙を通して
感じた気持ちを言葉で表現する、そのプロセスが丁寧に描かれています。
確かにそうだよなあと思ったのは、
感じた気持ちをすぐに言葉で表現できるかというとそうではないこと。
簡単なようで難しいなあと思います。
気持ちにぴたっと合う言葉ってなかなか見つからないなあと。
あと、「なぜこう感じなかったのだろう」と感じなかった気持ちに
スポットライトを当ててみませんかというニュアンスの文章がありました。
感じた気持ちが全てではなくて、感じなかった(感じられなかった)気持ちも
大切なことってあるなと思いました。
そんなことを考えながら、
あれ私は普段どう気持ちを表現しているんだっけ?と振り返ってみると、
日常の会話では自分の気持ちに目を向けるって意外に少ないと思いました。
熟考するよりもりテンポが優先というか、喜怒哀楽を感じてはいるけれども、
ぱぱっと割り切るというか。
日常でいつも自分の気持ちに目を向けていたら疲れてしまうかもしれませんね。
浅さや軽さが心地良いという時もあります。
一方で「なぜこう感じたのか」と思いを巡らせると発見があることも。
これが悲しくて怒っていたんだ!とか、疲れていただけだな~とか。
そしてそういうことかと腑に落ちると感情のおさまりが良かったりもします。
(どうにもこうにもおさまりません!という時もありますが)
思いの巡らし方って「軽く浅く」あれば「重く深く」もあるんだなと思います。
どちらがいいということではないですが。
きっとその人に合うちょうどいい浅さ・深さがあるのかなと思いました。
(🍀)
こんにちは。
先日、水族館に行きました。
水族館、好きなんですよね。
水槽の中を悠々と泳いでいる姿を見ると癒されます。
いいな~と思うことも。(水泳苦手なので……)
でも本来なら広大な海を泳いでいるはずだから、
それに比べたらどんなに大きい水槽だって狭いよな~
それってどうなのかな~
でも命の危険はないのか……と思ったりもします。
いずれにせよこの癒しの空間をくれることに感謝ですね。
あと地域によって魚の色の彩度が違うのもおもしろいなあと。
暖かい地域の魚たちの華やかさといったらすごいです。
え、この色とこの色が組み合わさる?
えぇ、こんな幾何学的な模様の魚がいるの?と毎回不思議に思います。
寒い地域の魚たちはしんとしていますが、
きらっきらの銀色の魚がいたりこんなに大きい蟹がいるんだ!と思ったり。
静かにマイペースに過ごしている様子もいいなと思いますね。
水族館に行くと気持ちがぱあっとなります。
(🍀)
こんにちは。
前回に続いて植物のお話です。
半年くらい前から虹の玉という多肉植物を育てています。
土がカラカラになったら水をあげて…を繰り返してきたのですが、
以前と比べると、かなり育っている…!
背が高くなって葉(?)もぷりっと張りがでてきて、何より増えてる…!
嬉しい驚きでした。
そして最近は茎のあたりからひょろひょろっとした根っこが。
調べてみると「気根」と言い、空気中の水分を求めて生えてくるそうです。
植物って強いですね。
そんなこんなで「なんか植物を育てるの楽しいかも」と思い、
プランター栽培を始めてみました。
これもまた種を蒔いて気付いた時に水をあげて…の繰り返しなのですが、
朝見たら…芽が出てきているー!
心の中で静かに感動しました。
これからどんどん暖かく(すでに暑いですが)なってくるので成長が楽しみです。
ちなみに、病院の桜は満開になっていました!🌸